「山野徹さんって、どんな人?」
そんな疑問からこの記事を読んでくださっている方も多いのではないでしょうか。
2023年、全国のJAをまとめる“JA全中”の会長に選ばれた山野徹さん。
実はその出発点は、鹿児島の農家の息子でした。
現場で泥まみれになりながら働き、地域の声に耳を傾け、地道に信頼を積み重ねてきた人物なんです。
この記事では、山野さんの出身地や若い頃の仕事、会長になるまでの経歴、そして給料や今取り組んでいる農業改革まで、わかりやすくご紹介します。
- 山野徹さんの経歴と出身地
- 現場を支えてきた営農指導員時代の話
- JA会長の給料や待遇って?
- いま注目の農業改革とその想い
農業に詳しくない人でも、きっと「読んでよかった」と思ってもらえる内容になっています。
一緒に、山野徹さんの歩んできた道をのぞいてみませんか?
山野徹JA全中の経歴がすごい!農家出身から会長までの道のり
農業界のトップに立つ山野徹さんは、なんと鹿児島の農家出身。
その経歴はまさに“現場から這い上がった”と言っても過言ではありません。
現場経験を重ねながら、地域に根ざした取り組みで信頼を積み上げ、ついには全国を束ねるJA全中の会長へ。
今回はそんな山野徹さんのスタート地点、「鹿児島・大崎町の農家の息子時代」にフォーカスしてみます。
鹿児島・大崎町で農家の長男として生まれる
山野徹さんは、鹿児島県の大崎町という自然の豊かな地域で育ちました。
家は農家で、一人息子として生まれた山野さんは、子どもの頃から「農業を継ぐのが当たり前」という環境で育ったそうです。
当時の農業は今よりもずっと大変だったそうで、米やサツマイモ、菜の花などを育てながら、日々の暮らしを支えていたと言います。
その後、ミカンやお茶なども育てるようになりますが、価格が下がってしまい、収入が安定しない厳しい時期もあったようです。
私もエンジニアとして働いていますが、親戚が農業をしているので、こうした話には思わずうなずいてしまいます。
「生まれ育った土地で生きる」というのは、どんな業界でも共通のテーマかもしれませんね。
こんな風に、地域に根ざして生きてきた山野さんが、なぜ全国の農業をまとめる立場になったのか。
その道のりが気になってきますよね。
営農指導員時代の経験とJA内でのステップアップ
若いころの山野徹さんは、「営農指導員」として農家をサポートする仕事に就きました。
この仕事は、作物の育て方や経営の相談に乗る、いわば“農業のアドバイザー”のような存在です。
配属された先では、畑の種類を変えたり、新しい野菜作りに挑戦したりと、現場で汗を流しながら農家を支えていたそうです。
一緒に畑に立ち、時には地域のリーダーとして方向を示す。そんな姿勢が周りからも信頼されていった理由かもしれません。
やがて、JAそお鹿児島でトップになり、さらにJA鹿児島県中央会の会長へ。
そして、2023年には日本全国のJAをまとめるJA全中の会長にまで選ばれました。
エンジニアの私から見ると、まさに“現場上がりのリーダー”。
下積み時代に培った経験があるからこそ、上に立ったときも「現場目線」を忘れないんだろうなと感じます。
次は、そんな山野さんがどうしてJA全中の会長になったのか。
その裏側や信任された理由を見ていきましょう。
出身地鹿児島から全国農業のリーダーへ!JA会長就任の裏側
山野徹さんが全国の農業を束ねるJA全中の会長になった背景には、長年の現場での信頼と実績があります。
農家の声に耳を傾け続けたその姿勢が、多くの人の共感を呼び、会長就任へとつながったのです。
ここでは、鹿児島からスタートした山野さんのキャリアが、どうやって全国のリーダーという大役にまでつながったのかをご紹介します。
JAそお鹿児島、鹿児島県中央会でのキャリア
山野徹さんのキャリアは、地元の農協「JAそお鹿児島」のトップとしてスタートしました。
その後、2017年には鹿児島県のJAグループをまとめる「鹿児島県中央会」の会長に就任します。
鹿児島県といえば、北海道に次ぐ“農業大国”。
そんな重要な地域のリーダーを務めてきたことが、全国のJAからも信頼される理由になったのは間違いありません。
私自身も、仕事で小さな開発チームをまとめることがありますが、信頼を得るには「どれだけ現場に寄り添えるか」が大事なんですよね。
山野さんはまさに、それをずっと実践してきた人だと思います。
会議室で語るより、畑で一緒に汗を流す。
そんなスタイルが、多くの仲間の支持につながったのでしょう。
圧倒的な信任でJA全中会長に選出された理由
2023年8月、山野徹さんはJA全中の会長に就任しました。
驚くのは、その選出方法です。
全国のJAから245票中、なんと244票の信任を得て選ばれたんです。
ほぼ満場一致での支持。これは、JAという巨大組織の中でもかなり異例のことです。
これだけの信頼を集めた背景には、「現場をよく知っている」「派手ではないけど着実」「言葉より行動で示す」そんな山野さんの人柄があるのではないでしょうか。
私も管理職として、部下に対して“背中で見せる”を意識していますが、やっぱり一緒にやってきた時間が信頼をつくるんですよね。
選ばれる人には、それなりの理由があります。
山野徹の若い頃は?農業愛と地域密着の原点とは
山野徹さんが「地域に根ざした農業」を大切にしているのは、若い頃の経験が大きく影響しています。
農家の息子として生まれ育った環境、そして現場で培った価値観が、今のリーダー像につながっているんです。
ここでは、山野さんがどんな若者だったのか、そしてその経験がどのように今の仕事に生きているのかをご紹介します。
農業改革のきっかけになった若き日の経験
若い頃の山野徹さんは、農協の営農指導員として働いていました。
配属先は、鹿児島県の開聞町農協。ここで山野さんは、地元の農家と一緒になって、新しい野菜づくりなどに挑戦していたそうです。
最初の仕事は「麦から野菜への転換」。
これは地域の農業をより稼げるものにするための、まさに“農業改革”でした。
私はシステムエンジニアとして、古いシステムを新しいものに切り替える仕事をよく担当しますが、そのときの“現場の不安や抵抗感”って、農業でも同じなんだろうなと感じました。
「これで本当にうまくいくのか?」
「今までのやり方のほうが安心じゃない?」
そうした声に向き合いながらも、地域の未来のために改革を進めた山野さんの姿勢には、学ぶところが多いですね。
営農指導員として産地づくりに奔走した日々
営農指導員として働く中で、山野さんは「産地を作ること」にも力を入れていました。
たとえば、ある地域では野菜、別の地域では茶葉など、地域の強みを活かした農業を一から一緒に作り上げていったんです。
その過程では、農家一軒一軒の声を聞きながら、丁寧に調整していく毎日だったそう。
いわば“農家の御用聞き”のような存在だったんですね。
この姿勢が評価され、のちにJAグループのTAC制度(担い手支援の担当者)という仕組みのモデルにもなったとか。
現場の声をもとに制度が生まれるって、すごく理想的ですよね。
JA全中の給料・待遇ってどうなの?意外と知られていない実態
「JAの会長って、どれくらいの給料もらってるの?」
実は、こうした疑問を持つ人は少なくありません。
普段なかなか明かされることのない“組織トップの収入事情”には、やっぱり興味がわきますよね。
ここでは、JA全中という大きな組織の給料の仕組みや、山野徹さんの待遇についてわかる範囲でご紹介していきます。
一般職員と幹部クラスの給与の違いとは
JA全中のような全国組織では、一般職員と幹部職員とでは待遇に大きな差があります。
一般職の初任給は、大学卒でおおよそ月20万円台後半からスタート。
年次や昇進に応じて年収500~700万円ほどになるようです。
一方、幹部クラスになると、年収は1,000万円を超えると言われています。
役職手当や地域手当、さらには家族手当などもあるため、民間企業の管理職と遜色ないレベルです。
これは私の主観ですが、地方の中小企業と比べると、かなり安定した給与体系だと感じます。
福利厚生や退職金制度も手厚いため、「安定志向の人には理想的な職場」だと感じる人も多いでしょうね。
ただし、組織の性質上「業績連動型の年収」ではないため、爆発的に収入が上がることはあまりないようです。
JA会長の収入や待遇はどれくらい?
JA全中会長というポジションになると、年収は公表されていません。
ただ、農業関連の全国組織の代表者クラスの相場から見ると、年収はおおよそ1,500万〜2,000万円ほどと推測されます。
もちろんこれは一部の推測に過ぎませんが、「全国の農業を束ねる立場」としては納得の水準かもしれませんね。
山野徹さんの場合、これまでの実績と信頼で選ばれた会長ということもあり、金銭的な報酬というより「責任感」や「志」を持って務めている印象があります。
私自身も、昇進して役職がついた時、「給料よりもプレッシャーのほうが重い」と感じたことがあります。
立場が上がるほど、報酬だけでは測れない重さがあるんですよね。
さて、いよいよ次は核心部分。
山野さんがいま取り組んでいる「農業改革」について掘り下げていきます。
農業改革に懸ける山野徹の想いとは?持続可能な農業への挑戦
JA全中の会長として、山野徹さんが今もっとも力を入れているのが「農業改革」です。
農家の高齢化や人手不足、物価の上昇など、農業を取り巻く課題は山積み。
そんな中でも山野さんは、「未来に続く農業」を目指して、日々奔走しています。
ここでは、彼の具体的な取り組みや考え方をご紹介します。
「至誠」の心で進める食料安全保障と自給率の向上
山野徹さんが会長に就任してから、何度も口にしている言葉があります。
それが「至誠(しせい)」です。誠実に、まっすぐに物事と向き合うという意味ですね。
山野さんは、この「至誠」の心を持って、食料の安全保障や自給率の向上に取り組んでいます。
たとえば、国産米や野菜を適正な価格で消費者に届ける仕組みを作ること。
それによって、農家が安心して作物を作り続けられる環境を目指しています。
私も食料品の値段が上がるたびに「これって誰が困って、誰が助かってるんだろう?」と思うことがあります。
その裏に、農家の現場の苦労や工夫があると知ると、もっと身近に感じますよね。
農業が“儲からない仕事”で終わってしまったら、次の世代が育ちません。
その危機感が、山野さんの原動力になっているんだと思います。
鹿児島から始まる未来の農業ビジョン
山野さんは、国際会議などで海外も訪れ、日本の農産物を世界に広める取り組みも行っています。
鹿児島のお茶や和牛などを輸出し、「日本の農業は世界で通用する」と実感したそうです。
「甜茶(てんちゃ)」や粉末茶は料理にも使えるし、和牛は海外でも大人気。
こうした日本の強みを活かして、新しい市場を開拓していく考えなんですね。
また、地方の農家が安心して働けるように、地域の暮らしも守っていきたいと話しています。
中山間地域の集落が消えていくのをなんとか食い止めたい——そんな強い思いが伝わってきます。
私自身も、田舎で暮らす親戚が「この町もあと10年持つかな…」とこぼすのを聞いたことがあります。
農業って、食べ物を作るだけじゃなくて、「地域を残す」仕事でもあるんですよね。
山野さんの取り組みは、ただの改革ではなく、“未来をつなぐ挑戦”だと感じました。
山野徹さんについてよくある疑問まとめ
Q: 山野徹さんはどんな経歴の持ち主ですか?
A: 鹿児島県大崎町出身で、地元の農家の一人息子として育ちました。JAそお鹿児島の組合長を経て、2017年に鹿児島県中央会会長に就任。2023年にはJA全中の会長に選出されました。
Q: 山野徹さんの若い頃はどんな仕事をしていたの?
A: 営農指導員として農家のサポートをしていました。畑で一緒に作物を育てたり、新しい栽培方法を提案したりと、現場に深く関わる仕事をしていたそうです。
Q: JA全中会長になると給料はどのくらい?
A: 正確な金額は公表されていませんが、全国団体の会長クラスでは年収1,500万〜2,000万円ほどと言われています。ただ、山野さんは「志」や「責任感」でその立場に立っている印象が強いです。
Q: 山野徹さんが今、注力していることは?
A: 食料安全保障や自給率の向上、そして地域農業の持続可能性に力を入れています。海外への農産物輸出にも積極的で、鹿児島のお茶や和牛の販路拡大に取り組んでいます。
Q: 山野徹さんが大事にしている信念は?
A: 「至誠」の心です。これは、誠実にまっすぐ向き合うという意味で、農家や地域の声を大切にする姿勢に表れています。
まとめ
今回の記事ではこんなことを書きました。以下に要点をまとめます。
- 山野徹さんは鹿児島県の農家出身で、営農指導員からJA全中の会長にまで上り詰めた人物
- 現場目線での信頼を積み重ね、全国のJAから圧倒的な支持を得て会長に就任
- 若い頃の経験が今のリーダーシップに大きく影響しており、「御用聞き」の姿勢が評価されている
- JA全中の会長の給料は推定で1,500万〜2,000万円だが、それ以上に重い責任を担っている
- 「至誠」の心を大切に、農業の持続性と地域の未来を守る改革に取り組んでいる
山野徹さんの歩みは、ただの出世ストーリーではなく、現場の声に真摯に向き合い続けたからこその結果でした。
これからの農業を支えるヒントが、彼の姿勢から見えてくるように感じます。
農業に興味がない人でも、「こんなリーダーがいるんだ」と少しでも感じていただけたら嬉しいです。
記事を読んだあとには、身近な食べ物がどこから来ているのか、ちょっとだけ気にしてみるのも良いかもしれませんね。