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露口茂さん(太陽にほえろ山さん役)が死去!死因や学歴!俳優の経歴と引退理由とは?

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露口茂さんが死去…太陽にほえろ“山さん”役で国民的人気に

露口茂さんが、2025年4月に93歳で亡くなられていたことが9月に報じられました。
昭和・平成の刑事ドラマを語るうえで避けて通れない『太陽にほえろ!』の“山さん”役で、一躍国民的な存在となった露口茂さん。
その訃報は、世代を超えて多くの人の心を揺さぶりました。

 

かつて筆者がまだ大学生90年代後半、再放送で偶然見た『太陽にほえろ!』の一話に強く引き込まれた記憶があります。
派手なアクションもなく、無駄口もきかず、ただ鋭い観察力と落ち着きで事件を解決する山さんの姿は、どこか理想の上司像のようでした。
実際、露口茂さん演じる山さんの“静かな存在感”を参考にしたこともあります。
怒鳴らず、焦らず、しかし芯は通っている──このバランス感覚って、どこでも通用するんですよね。

 

そんな露口茂さんの訃報を聞いたとき、思わず手が止まりました。
あの穏やかだけど一言の重みがある演技、もう新しく見ることはできないのか…としみじみ思ったのは、きっと筆者だけではないでしょう。

 

ここからは、露口茂さんの代表作“山さん”を中心に、俳優としての功績や背景に迫っていきます。
まずは、露口茂さんが演じた「山さん」が、なぜここまで愛されたのかを見ていきましょう。

 

「山さん」とは?露口茂さんが演じた名キャラの魅力

昭和の刑事ドラマといえば、熱血・肉体派・破天荒というイメージを持つ方も多いと思います。
そんな中、ひときわ異彩を放っていたのが露口茂さん演じる「山さん」こと山村刑事です。

 

山さんは、感情を荒げることもなく、事件の真相に静かに迫っていく“観察型刑事”。
刑事ドラマといえばカーチェイスや銃撃戦がつきものだった時代に、あえての静寂と理詰めで魅せるキャラクターでした。


その地味さがむしろリアルで、「こんな刑事が本当にいたらいいな」と思わせる説得力があったんです。

 


ドラマ『太陽にほえろ!』での名シーンや殉職回とは

昭和47年に放送が始まった『太陽にほえろ!』で、山さんは最初期から出演。
それも約14年という長期にわたり、レギュラーとして物語を支え続けました。

 

中でも印象的なのは、山さんが殉職する回「山村刑事殉職」。
地味ながらも深い人情味と冷静さを貫いていた山さんが、ラストで銃弾に倒れるあのシーン…。


あれは衝撃的でした。筆者も当時の再放送を見て、しばらく動けなくなったほどです。

 

情報社会のいま、“バズる演出”を狙う作品が増える中で、露口茂さんはブレずに「等身大の刑事」を貫いた。
SNSがない時代でもファンレターが山ほど届いたのも、納得です。

 

次は、そんな露口茂さんの死去を受けて、SNSを中心に広がった追悼の声を見ていきましょう。


SNSでも追悼コメントが続々…惜しまれる名優

露口茂さんの訃報が報じられた2025年9月1日。
「露口茂さん」「山さん」が即トレンド入り。X(旧Twitter)やFacebookでは、世代を超えて追悼の声が広がりました。

 

「静かなのにカッコいい刑事だった」「親が好きで一緒に見てた思い出の人」「声がしぶくて憧れた」など、コメントの温度が高い。
中には、殉職回の録画をまだ大事に保管しているという投稿まであって、思わずホロリとしました。

 

この反応からも、露口茂さんが演じた「山さん」が、単なるドラマの登場人物ではなく、人々の記憶に生きている存在だったことがわかります。

 

次は、死因や公表のタイミングなど、今回の訃報に関する背景を深掘りします。


死因は老衰…なぜ4か月も公表されなかったのか?

露口茂さんが亡くなったのは2025年4月28日。
ただし、報道で知らされたのはそれから4か月後の9月1日でした。
これには多くの人が驚き、「なぜ今?」という声も。

 

死因は老衰とされています。93歳という年齢を考えれば自然なことですが、やはり静かに人生を閉じられた印象です。
そしてこの“静けさ”が、ある意味で露口茂さんらしさを象徴していたとも感じます。

 

メディアを避けた晩年もまた、彼…ではなく、露口茂さんの“生き方”の一部だったのでしょう。
派手さではなく、あくまで誠実に、目立たず、役者としての美学を貫いた。
そんな姿勢に、システム開発で“裏方に徹する”自分の仕事観を重ねたくなる時があります。

 

次は、露口茂さんの学生時代や俳優へのきっかけをたどっていきます。


学歴と学生時代のエピソード!松山東高校から愛媛大学へ

露口茂さんは愛媛県松山市出身。
地元の進学校、松山東高校を卒業したあと、愛媛大学文理学部に進学されました。

 

ただし、大学在学中に演劇の道を志し、中退。
その後、俳優養成機関である「俳優座養成所」へ入所したという経歴を持ちます。

 

今どきのキャリアチェンジとは少し違いますが、「一度進んだ道を捨てて情熱に賭ける」って、どの時代も勇気のいる決断です。
筆者も30代で社内SEからフリーランスになった時、「遅いよ」って笑われましたが、露口茂さんのように“静かに一歩踏み出す勇気”は見習いたいと思ったものです。

 


俳優としての経歴…悪役から“山さん”までの道のり

露口茂さんの俳優キャリアは、映画からスタートしました。
特に今村昌平監督の『にあんちゃん』などで注目を集め、当初は悪役や二枚目を演じることも多かったようです。

 

その後、舞台やテレビにも活動の幅を広げ、NHKの大河ドラマ『竜馬がゆく』にも出演。
ですが、やはり彼の名を全国区に押し上げたのは『太陽にほえろ!』での“山さん”です。

 

この配役の凄いところは、アクションや派手な演出に頼らず、「内面の深み」だけで勝負したところ。
それが視聴者にガチっと刺さったのは、ある種、露口茂さんの“人間力”を役に投影していたからじゃないかと思います。

 

私たちの業界でも、派手な実績より「この人と一緒に仕事したい」って思わせる空気感って大事なんですよね。
露口茂さんはまさに、そういう“共に在りたい人”だった気がします。

 

次は、意外と知られていない声優としての活躍についてです。


露口茂さんの声優としての活躍「耳をすませば」や「バロン」役も話題に

ジブリ映画『耳をすませば』で登場する猫の人形・バロン。
この声を担当していたのが、ほかでもない露口茂さんです。

 

あの、紳士的でちょっとミステリアスなバロンの声に、「あれ?この声、誰だろう?」と思った方もいたのではないでしょうか。
実は筆者も、エンドロールで「露口茂」さんの名前を見てびっくりした一人です。

 

さらに、NHKの『シャーロック・ホームズの冒険』でホームズの吹き替えも担当。
知的で冷静な役がやっぱり似合うんですよね。どれも“静かだけど深い”演技。

 

エンジニア的に言うと、処理は軽いのに演出が重厚なコードみたいなものです。
性能も美しさも兼ね備えた希少な存在。そう、露口茂さんは“レガシー”ではなく“クラシック”なんです。

 

次は、俳優業から離れた理由と、露口茂さんが選んだ“静かな晩年”についてお伝えします。


俳優業から引退した理由と晩年の過ごし方とは?

露口茂さんは『耳をすませば』(1995年)の出演を最後に、公の場から完全に姿を消しました。
バラエティやインタビュー出演なども一切ナシ。
これだけ大物なのに、「出ない」という選択を続けたのは異例です。

 

多くの俳優が晩年に“回想トーク”や“復帰作”を語る中、露口茂さんは静かに去ることを選びました。
それは「役者は演じるもの。語るものではない」という信念からだったのかもしれません。

 

その生き方には、ITの世界でよくある「黙って成果で語れ」みたいな空気に通じるものを感じます。
口数は少ないけれど、成果物(演技)で誰よりも語る。
そういう姿勢、仕事人としてめちゃくちゃリスペクトです。

 

次は、共演者やファンが語った露口茂さんの人物像と、今も残る影響についてまとめます。


露口茂さんの人物像と、今なお語り継がれる名優の姿

共演者やスタッフの証言から見えてくるのは、「現場で一番物静かな人だった」という露口茂さんの素顔。
でも、それでいて“なぜか気になる存在感”。
言葉少なでも、そこにいるだけで空気が変わる。そんな人だったそうです。

 

ファンの間では「理想の上司」「あんな大人になりたい」と語られることも多く、
現代の“しんどい職場”の中で、露口茂さんの生き様に癒しやヒントを見出す人も少なくありません。

 

昭和の熱血型とは違う、新しい“渋さ”の体現者だったと言えるでしょう。
静けさの中に深さあり。シンプルだけど心に残る。
そういう在り方こそ、いま求められている“大人像”かもしれません。

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