宮地佑紀生さんが死去…死因や年齢は?
名古屋のラジオ界を支え続けた宮地佑紀生さんが亡くなられました。
突然の訃報に驚きと喪失感を覚えた方も多いのではないでしょうか。
ここでは、正確な死因や年齢など、公式に発表された情報を中心にお伝えします。
宮地佑紀生さんの死去報道と年齢は?
宮地佑紀生さんが逝去されたのは2026年1月10日。
死去の報告は、所属事務所から2026年2月8日に公式に発表されました。
長年「名古屋のみのもんた」として親しまれてきた宮地佑紀生さんは、享年78歳でした。
筆者も学生のころ、ラジオから聞こえてくる宮地佑紀生さんの声に、元気をもらっていたひとりです。
その存在が、もう聞けないと思うと胸が詰まります。
葬儀はすでに近親者のもとで執り行われており、現在は「お別れの会」の開催がアナウンスされています。
死因は明かされているのか?
死因は正式に発表されており、**「骨髄異形成症候群」**でした。
この病気は、血液をつくる骨髄に異常が起きる疾患で、高齢者に多いとされる難病のひとつです。
静かに、けれど確かに病と向き合いながら、最後まで表現者としての姿勢を崩さなかった宮地佑紀生さん。
誰にも知られず、ひっそりと病魔と闘い続けていたことを思うと、改めてその強さに敬意を感じます。
次は、宮地佑紀生さんの華やかな経歴と、事件後の晩年の活動について見ていきましょう。
宮地佑紀生さんの経歴まとめ!事件後の静かな晩年とは?
宮地佑紀生さんの人生は、ラジオ・テレビ・CMと、名古屋の放送界に深く根を下ろした存在でした。
ここでは、彼の歩んできたキャリアと、事件後の新たな挑戦についてまとめます。
名古屋ローカルでの活躍とスガキヤCM出演
宮地佑紀生さんは、25歳のときにラジオパーソナリティとしての活動をスタート。
「ミッドナイト東海」「どんどん土曜大放送」などの番組で注目を集めました。
中でも名古屋市民にとって特に印象的だったのが、スガキヤのCM。
「もっと食べてみや~ち♪」のフレーズは、CMソングとしてだけでなく、宮地佑紀生さんの代名詞でもありました。
また、テレビでは「どですか!」の朝の情報番組から、ドラマ「中学生日記」「黄金鯱伝説グランスピアー」まで、幅広く活躍。
“名古屋といえば宮地さん”と言われるほど、地域密着型のタレントとして活躍していたんですよ。
次に、「聞いてみや〜ち」で起きたあの事件について振り返ります。
「聞いてみや〜ち」や暴行事件の影響
1997年にスタートした「宮地佑紀生の聞いてみや〜ち」は、平日午後の定番ラジオ番組として多くのリスナーに愛されていました。
ですが、2016年6月の放送中に共演者・神野三枝さんへの暴行事件が発生。
番組は即日打ち切りとなり、宮地佑紀生さんも活動自粛となります。
長年続いた番組が突然終わったことで、地元リスナーの間にも大きな衝撃が走りました。
筆者も放送を楽しみにしていたひとりとして、あの日の放送が最後になったことは今でも記憶に残っています。
それでも、宮地佑紀生さんは再びマイクの前に立つことを諦めませんでした。
事件後の活動とYouTubeでの挑戦
自粛後はメディア露出こそ減ったものの、72歳にしてYouTubeチャンネルを開設。
地元名古屋の話題や、自身の思い出話などを発信するなど、新たな形でファンとつながる道を選びました。
その姿は「老いてもなお挑戦し続ける」姿勢そのもので、筆者も励まされたひとりです。
