日本を代表するセッションギタリスト・徳武弘文さんが2025年5月14日に死去されました。
「Dr.K」の愛称で知られた徳武弘文さんは、レスポールとの共演や吉田拓郎さん、長渕剛さんらとのサポートで多くの音楽ファンを魅了してきました。
この記事では、そんな徳武弘文さんの学歴・経歴、音楽活動や家族(息子・孝音さん)との関係、共演アーティストとの逸話などを丁寧に振り返ります
徳武弘文さんが死去 ギタリスト「Dr.K」が遺した音楽の足跡
2025年5月14日、日本のギター界に大きな影響を与えたギタリスト・徳武弘文さんが73歳で亡くなりました。
「Dr.K」の愛称で知られた徳武弘文さんは、カントリー・ギターを中心にロックやポップスなど幅広いジャンルで活躍され、音楽業界内外から多くの追悼の声が寄せられています。
徳武弘文さんの死去の報道を受けて、SNSでは「本当に信じられない」「青春そのものだった」という声が多く見られました。
ここからは、徳武弘文さんの死去に関する報道と、彼がどのような存在だったのかについて詳しくご紹介していきます。

死去の報道と世間の反応
徳武弘文さんの死去は、ヴィヴィド・サウンド・コーポレーションが公式サイトで発表しました。
享年は73歳。
公式コメントでは「唯一無二のギタートーンと確かな演奏技術」「音楽に対する真摯な姿勢が共演者やスタッフから厚い信頼を得ていた」と綴られており、その存在の大きさを物語っています。
ネット上では「日本のエレキ界の父がまた一人…」と惜しむ声や、「若い頃に聴いてギターを始めた」というファンの思い出話も多く見られました。
私自身も中学生の頃に徳武さんのギターを聴いたことがあり、「コードひとつでこんなに世界が広がるのか」と衝撃を受けた記憶があります。
徳武弘文さんのプレイスタイルには「再現性が高く、かつ人間味がある」という絶妙なバランスがあったように感じます。
「Dr.K」の愛称の由来とその意味
徳武弘文さんは、“Dr.K”というニックネームでも親しまれていました。
これは「徳武(とくたけ)」という少し珍しい苗字が覚えにくいことから、「近い音で覚えやすく」という理由で付けられた名前だそうです。
この「Dr.K」という響きが、まさに彼の“音に対する職人魂”を象徴しているようで、個人的にとても印象に残っています。
ちょっとこじつけ感がありますが、私はシステムエンジニアという職業柄、「専門性の高い技術者はDr.〜と呼ばれがち」という文化に通じるものがあり、勝手ながらすごく親近感を覚えました。
「Dr.K」として知られるようになってからは、プロのギタリストだけでなく、スタジオミュージシャンや音楽プロデューサーたちの間でも“この人に任せれば間違いない”と評価される存在になっていきました。
音の精度とフィーリングを両立させるそのスタイルは、音楽業界でも数少ない逸材だったといえるでしょう。
徳武弘文さんの学歴と出身地は?北海道函館から始まった音楽人生
徳武弘文さんは1951年、北海道函館市に生まれました。
広大な自然と静かな港町の雰囲気の中で育ち、幼少期から音楽に強く惹かれていたそうです。

学生時代は、勉強よりもギターに夢中だったとのこと。
特に高校時代には、ベンチャーズのサウンドに衝撃を受け、「ギターで自分の世界を表現したい」という想いが強くなっていったようです。
大学在学中には、すでに「ブレッド&バター」のサポートメンバーとしてプロの現場に立ち、ギタリストとしての人生を本格的にスタートさせています。
筆者自身、「大学で学ぶ傍ら、自分のスキルを仕事として活かす」という姿勢はまさに理想的なキャリアの始め方だと思います。
技術者もミュージシャンも、スキルの“初速”が早い人はやはり伸び方が違いますね。
その後も彼の活動は加速を続け、時代の音楽シーンとともに歩みながら、独自の存在感を放ち続けていきます。
次はその華々しい経歴を、共演アーティストや代表作とともに振り返っていきます。
徳武弘文さんの経歴がすごい!日本音楽界を支えたセッションギタリストの実力
徳武弘文さんの経歴を語る上で、最も特筆すべきは「セッションギタリスト」としての活躍です。
70年代以降、日本の音楽シーンのあらゆる名盤に、彼のギターサウンドが息づいています。
1974年、泉谷しげるさんのバックバンド「ザ・ラスト・ショウ」を結成し、本格的に表舞台へ。
その後も吉田拓郎さん、大瀧詠一さん、長渕剛さん、井上陽水さん、竹内まりやさん、松田聖子さんなど、ジャンルを超えたビッグネームのサポートを数多く務めました。
IT業界で例えるなら、各社の大型プロジェクトに呼ばれるフリーランスのスーパーエンジニアのような存在ですね。
どんな現場でも瞬時に“最適解”を提供できる腕前に、同業者として本当に憧れます。
さらに、徳武弘文さんはエレキギター「レスポール」の生みの親であるレス・ポールさんとの共演も果たしています。
2008年、ニューヨークでの共演は、国内外のギタリストたちに大きな衝撃を与えました。
世界の名手と対等に弾き合えるその実力。
それを裏付けるのは、音楽への飽くなき探求心と、技術の引き出しの多さだったのではないでしょうか。
次はそんな徳武弘文さんを取り巻く「家族」や「仲間」たち、そして次世代へと受け継がれる音楽についてご紹介します。
徳武弘文さんの家族・息子・交友関係
徳武弘文さんのご家族についても、音楽界では広く知られていました。
特に息子の徳武孝音(たかね)さんはギタリストとして活動しており、親子での共演エピソードも話題になっています。
孝音さんは、奥様でありシンガーのAisaさんと共に音楽活動をしており、父・徳武弘文さんの影響を色濃く受けた音づくりで注目を集めています。
「親から受け継ぐスキル」と「それを時代に合わせて展開する柔軟性」は、まさに現代の理想的な技術継承モデルだと感じますね。
さらに印象的なのが、仲井戸“CHABO”麗市さんとの約30年ぶりの再会と共演エピソードです。
かつて泉谷しげるさんのバックバンドで共に活動していた関係から、長年の交流が続いており、対談ではお互いへのリスペクトがにじみ出る内容がとても印象的でした。
「表現の方法は違っても、求めるところは同じだった」という言葉には、技術を超えた“音楽哲学”が感じられます。
技術だけでなく、価値観や人間性も含めて“共演者に信頼される人物”だったのだと、改めて深く実感しました。
徳武弘文さんに関するQ&Aまとめ
Q: 徳武弘文さんが「Dr.K」と呼ばれるようになったのはなぜですか?
A: 苗字の「徳武(とくたけ)」が覚えづらいため、近い音で「Dr.K(ドクター・ケー)」と名乗るようになったそうです。技術者としての風格も感じさせるニックネームですね。
Q: 息子の徳武孝音さんはどんな活動をしていますか?
A: 徳武孝音さんはギタリストとして活動しており、ボーカリストのAisaさんとユニットを組んでいます。父・徳武弘文さんと共演した経験もあります。
Q: レス・ポールとの共演はいつ行われましたか?
A: 2008年、徳武弘文さんは米・ニューヨークでレス・ポールさんと共演しました。日本人ギタリストとしては非常に貴重な経験です。
Q: 共演した有名アーティストは誰ですか?
A: 吉田拓郎さん、井上陽水さん、竹内まりやさん、松田聖子さん、長渕剛さん、大瀧詠一さんなど、名だたるアーティストの作品やライブに参加しています。
Q: 出身地と学歴について教えてください。
A: 北海道函館市出身です。大学在学中からプロとしての活動を開始しており、音楽キャリアのスタートは非常に早かったようです。
まとめ
今回の記事ではこんなことを書きました。以下に要点をまとめます。
- 徳武弘文さんは2025年5月14日に73歳で死去。日本の音楽界に多大な影響を与えたギタリスト
- 「Dr.K」の愛称で親しまれ、セッションギタリストとして数々の名アーティストと共演
- 北海道函館市出身で、大学在学中にプロデビュー
- レス・ポールとの共演や、独自のギタートーンが高く評価された
- 息子・徳武孝音さんもギタリストとして活動し、父との共演経験もあり
徳武弘文さんの音楽人生は、まさに“職人魂”と“愛される人柄”の集大成でした。
40代の昭和生まれの私から見て、徳武弘文さんのような「技術×情熱×信頼」が揃った人物は、どの業界でも極めて貴重な存在です。
この記事を読んで「徳武弘文さんの音をもっと知りたい」と思った方は、ぜひ彼の参加したアルバムやライブ映像をチェックしてみてください。
ギターの音色を通して、時代を超えた情熱がきっと伝わってきます。