ロバート・レッドフォードが死去 その生涯に幕を下ろす

2025年9月16日、ロバート・レッドフォードさんが亡くなったというニュースが流れました。
89歳。映画界のレジェンドが、静かにこの世を去った瞬間です。
多くの人にとってレッドフォードさんの名前は、映画の思い出そのもの。
次は、最期の様子やご家族との関係に目を向けてみましょう。
89歳で死去 死因と最期の瞬間に迫る
亡くなったのは、ユタ州にある自宅。
静かな自然に囲まれた場所で、穏やかに旅立ったそうです。
詳しい死因は公表されていません。
報道では「自然死」と伝えられました。
「え、亡くなったの?」とスマホを見て驚いた方も多いと思います。
自分もそうでした。仕事帰りの電車でふとニュースを開いたら、そこに「ロバート・レッドフォード死去」の文字。
その瞬間、あの『スティング』の名シーンが頭に浮かびました。
映画好きなら誰しも、一度はこの人の作品に出会っているはずです。
89歳という年齢を考えれば、大往生と言えるでしょう。
そしてレッドフォードさんらしく、静かに舞台を降りていったようです。
では、ご家族との最後の時間はどんなものだったのでしょうか?
次でご紹介します。
家族との最後の日々と残された言葉
レッドフォードさんには4人のお子さんがいました。
娘のシャウナさんは画家として活動し、エイミーさんは女優として父の背中を追ってきました。
晩年は、自然豊かなユタ州の自宅で過ごしていたとのこと。
この家は、サンダンス・リゾートの敷地内にあり、まさに「レッドフォードさんの世界」が詰まった空間だったそうです。
映画に出てくるような風景の中で、家族に囲まれて過ごす日々。
それは、レッドフォードさんにとって最高の余生だったに違いありません。
「もう十分に生きた」と語っていたという証言もあります。
その言葉どおり、飾らず、騒がず、そっとこの世を離れたようです。
まるでラストシーンのような去り方に、どこかレッドフォードさんらしさを感じます。
ロバート・レッドフォードの経歴と功績とは?
アカデミー賞も名声も手にしたロバート・レッドフォードさんですが、実は「単なるイケメン俳優」ではありません。
俳優、監督、そして映画祭の創設者としても一流だったそのキャリアは、まさに“映画界のオールラウンダー”でした。
ここでは、レッドフォードさんの華やかな歩みをざっくりまとめていきます。
俳優としてのブレイクと数々の代表作
レッドフォードさんの俳優人生が大きく動いたのは、1969年。
ポール・ニューマンさんと共演した『明日に向って撃て!』で、一気にスターダムを駆け上がります。
続く『スティング』では、再びニューマンさんと共演。
この2作で、レッドフォードさん=“ハリウッドの二枚目代表”というイメージが定着しました。
他にも『追憶』『華麗なるギャツビー』『大統領の陰謀』『ナチュラル』など、名作がずらり。
個人的には『大統領の陰謀』が秀逸でした。システムエンジニア目線でも、ジャーナリズムや情報収集のリアルさにゾクゾクした記憶があります。
しかも、歳を重ねても存在感は健在。
『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』にも出演して、若い世代にもその名を刻みました。
次は、俳優業だけじゃない“もう一つの顔”に注目してみましょう。
監督・プロデューサーとしての才能も開花
俳優として大成功を収めた後、レッドフォードさんは80年代に監督業へとシフト。
その第一歩が『普通の人々』です。
これがいきなりの快挙。
アカデミー賞で監督賞と作品賞をW受賞。
これだけでもすごいのに、脚色賞や助演男優賞も獲得するなど、映画としても文句なしの評価でした。
他にも『リバー・ランズ・スルー・イット』では、ブラッド・ピットさんを主演に起用し、瑞々しい世界観を描ききっています。
『クイズ・ショウ』では社会派の視点も感じられ、作品の幅広さに驚かされました。
正直、コード書いてるだけの毎日に慣れきった人間から見ると、「あれもこれもできるなんて反則でしょ」と思ってしまいます(笑)
でも、やっぱりすごい。
次は、そんな多才なレッドフォードさんが映画界にもたらしたもう一つの革命を見ていきましょう。
サンダンス映画祭を創設した理由と影響力
1981年、ロバート・レッドフォードさんはサンダンス・インスティテュートを立ち上げました。
そしてそこから始まったのが、あの有名なサンダンス映画祭です。
この映画祭は、ハリウッドとは違う“インディペンデント映画”を世に送り出す場。
若手監督や無名の才能がここから羽ばたいていきました。
たとえば、クエンティン・タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』や、近年では『パラサイト』のポン・ジュノ監督も影響を受けたと語っています。
SEの筆者が開発現場で例えるなら、大手企業に頼らずに作ったフリーソフトが世界に広がるような感じです。
この“裏口からのヒット”を可能にしたのが、サンダンス映画祭だったんですね。
レッドフォードさんは、映画そのものだけでなく「映画を生む場所」まで用意してしまった。
その先見性と行動力には、ただただ脱帽です。
若き日のロバート・レッドフォード 美貌とスター性の秘密
「若い頃のロバート・レッドフォードさんってどんな顔だったっけ?」
そう思って検索した人、多いと思います。結論から言うと…圧倒的イケメンです。
今回は、若き日の写真とスター性に迫ります。
映画がフィルムだった時代の“本物のかっこよさ”、ぜひ堪能してください。
若い頃の写真で振り返るイケメン時代
まずは、Googleで「Robert Redford Young」で画像検索してみてください。
出てくるのは、まさに“整いすぎた顔面”。あれはもう肖像画レベルです。

若かりし頃の写真を見ると、どれも目力がすごい。
しかも自然体。作り込まれた感じがないのに、どこか品がある。
当時の雑誌やポスターにもよく使われていて、60〜70年代のビジュアル・アイコンともいえる存在でした。
コードに囲まれて目の疲れた現代人が見ると、「こんな顔面偏差値あるのか…」と一瞬フリーズします。
ただの俳優じゃなくて、“人類代表の顔面”と言ってもいいかもしれません。
ちなみに私も中学生のころ、初めて『明日に向って撃て!』を観て、「この人カッコよすぎるだろ…」と軽く衝撃を受けた記憶があります。
次は、そんな外見以上に魅力的だった「スター性」について見ていきましょう。
ハリウッドで“二枚目俳優”と呼ばれた理由
ロバート・レッドフォードさんは、もちろん見た目が話題でしたが、それだけじゃなかったんです。
演技のスタイルは、“余計なことをしない”。
表情のちょっとした動きや、間の取り方だけで感情を伝えるのがうまい。
それが逆にリアルで、観る側の想像力を引き出してくれました。
この“静かだけど強い存在感”が、レッドフォードさんならではの魅力だったと思います。
『スティング』でも、『華麗なるギャツビー』でも、無理に盛り上げようとせず、ただそこにいるだけで絵になる。
言い換えれば、“静かなる主役”。
今でいうと、ちょっとマッツ・ミケルセンやアダム・ドライバーあたりに近いかもしれません。
主張しすぎないけど、目が離せない。そんな感じです。
ロバート・レッドフォードが遺したものとは?
映画スター、監督、活動家、そしてサンダンスの創設者。
ロバート・レッドフォードさんは、映画界に多くの“何か”を残しました。
ここでは、「結局どんな影響を与えたのか?」という部分を、ざっくり振り返ってみましょう。
俳優・監督としての影響とレガシー
レッドフォードさんのすごいところは、ただの人気俳優で終わらなかったこと。
キャリアの途中から監督やプロデューサーとしての手腕を発揮し、裏方としても評価されました。
アカデミー賞を受賞した『普通の人々』では、派手な演出を避け、繊細な人間ドラマを描いたことで高く評価されました。
これ、個人的には“余白”を活かす演出だと思っています。
何でもかんでも詰め込みがちな現代のコンテンツとは、真逆の美学です。
また、インディーズ映画の発展に寄与したサンダンス映画祭の存在も大きいです。
ハリウッドの大作に頼らず、独自の視点や少人数制作でも勝負できる環境を作ったことは、業界にとって革命でした。
一言でいうと、「映画の多様性を守った人」。
これは、どれだけ時代が変わっても評価され続ける功績でしょう。
では、今からでも観られる名作は何があるのでしょう?
最後にオススメの代表作をいくつか紹介します。
今から観たいおすすめの代表作5選
「ロバート・レッドフォード作品、観たことないかも…」
そんな方にも安心な“初心者セット”を5本選んでみました👇
1. 明日に向って撃て!(1969)
ポール・ニューマンさんとの名コンビで贈る、西部劇の名作。
軽快なテンポと切ない結末が印象的。
2. スティング(1973)
知的な騙し合いがクセになる。テンポと展開の妙にうなるはず。
3. 大統領の陰謀(1976)
ウォーターゲート事件を描いた社会派サスペンス。情報リテラシー的にも学びあり。
4. 普通の人々(1980/監督)
監督デビュー作にしてアカデミー賞総ナメ。演出の静けさが沁みる一作。
5. リバー・ランズ・スルー・イット(1992/監督)
自然と人生が交錯する、美しい映像詩。疲れてる時にぜひ。
どれも配信サービスで観られるものが多いので、週末に1本でも観てみると、“静かな余韻”を味わえるかもしれません。