菅原孝さんが死去|死因は肺炎で享年81歳
晩年は闘病しながらも音楽活動を継続

2025年9月11日、兄弟デュオ「ビリーバンバン」の兄・菅原孝さんが肺炎のため亡くなられました。
享年81歳。都内の病院で静かに息を引き取ったとのことです。
実は菅原孝さん、2014年に脳出血で倒れて以来、左半身が麻痺した状態だったそうです。
それでも、2015年には車椅子で音楽活動に復帰。まさに“音楽の人”という言葉がしっくりきます。
リハビリって、実際は地味で辛くて、結果もすぐには見えない。
それでも菅原孝さんは音楽をやめなかった。
“できること”に集中して、“できないこと”を受け入れていたんだろうなと思うと、言葉が出ません。
晩年はコンサートでも車椅子姿でしたが、弟の菅原進さんと一緒にしっかり歌っていた姿が印象的です。
このあと、どんな経歴を歩んできたのかを詳しく見ていきましょう。
誤嚥性肺炎との闘いと死去までの経緯
報道によると、菅原孝さんは2024年の秋ごろから体調を崩されていたそうです。
その後、2025年の5月には誤嚥性肺炎を患い、寝たきりに。
最期の数か月はベッドの上で過ごされたとのことです。
「誤嚥性肺炎って高齢者には本当に多いんですよね」
——これは医療関係の友人がよく言ってる言葉です。
ちょっとした食べ物や飲み物が気管に入って肺に炎症を起こす。特に体力が落ちたときは命に関わるんです。
葬儀はご家族の意向で近親者のみの密葬として執り行われ、喪主は妻のけい子さんでした。
お別れの会の予定については現時点では発表されていません。
ビリーバンバン・菅原孝さんの経歴|兄弟デュオの歴史とは?
「白いブランコ」でデビュー、紅白にも出場
菅原孝さんは1944年、東京都立川市のご出身。
弟・菅原進さんとの兄弟デュオ「ビリーバンバン」で1969年にデビューを果たしました。
デビュー曲「白いブランコ」がいきなりの大ヒット。
あの透明感あるハーモニーは、当時の音楽業界でも一線を画していた存在だったようです。
正直なところ、40代の自分はリアルタイム世代ではないのですが、親戚のおじさんの車で流れていたのを妙に覚えています。
「白いブランコ」と聞くと、どこかノスタルジックな風景が思い浮かぶのは自分だけじゃないはず。
その後もヒットを重ね、1970年代にはNHK紅白歌合戦にも出場。
兄弟の息の合った歌声は、時代を超えて多くの人に愛されてきました。
このあたりの経歴を見ても、「兄貴が引っ張っていた」という弟・進さんの言葉にうなずけます。
次に、もうひとつの代表曲「また君に恋してる」の背景について触れていきます。
「また君に恋してる」が大ヒットした背景
2009年、ビリーバンバンの代表曲に新たな名が加わりました。
そう、「また君に恋してる」です。
もともとは坂本冬美さんの歌として知られていましたが、ビリーバンバン版はCMソングとして起用されたことで再ブレイク。
焼酎「いいちこ」のCMで流れた、あのしっとりとした歌声に心をつかまれた人は多いのではないでしょうか。
ここだけの話、うちの職場の部長はこの曲を聴くたびに「俺、結婚し直したくなるわ」と言います。
…いや、奥さんにバレたら怒られますよ、部長。
それくらい、大人の恋愛観や人生の“味わい”を感じさせてくれる名曲。
菅原孝さんの深みある歌声は、この曲にぴったりだったと思います。
次は、菅原孝さんのご家族と、弟・菅原進さんとの深い絆についてご紹介します。
菅原孝さんの家族構成|妻けい子さんと弟・菅原進さんとの絆
妻・けい子さんとの私生活と家族の支え
菅原孝さんの私生活はあまり多く語られていませんが、今回の報道では妻の「けい子さん」が喪主を務められたと記載がありました。
長い闘病生活を支えてこられたことは、想像に難くありません。
家族って“あって当然”と思ってるときほど、ありがたみに気づかないんですよね。
仕事に追われ、時間に追われ、「まぁ、そのうちゆっくり話せばいいか」なんて後回しにしがちです。
でも、菅原孝さんのように、命のリミットを意識しながらも家族と静かに向き合う姿には、ちょっと胸を打たれました。
弟・菅原進さんの涙のコメント
菅原進さんは、所属事務所を通して以下のようなコメントを出されています。
「誠実で優しく、思いやりがあり、真面目な兄でした。本当に偉大な兄でした。兄貴、ありがとう。」
56年間、同じ舞台に立ち続けた兄弟が交わす“ありがとう”って、普通の兄弟関係じゃないですよね。
ビジネスでも家庭でも、こんなに長くパートナーシップを維持するのは簡単なことじゃありません。
40代エンジニアとして思うのは、同僚と1年一緒に働くだけでも相性やら考え方やらで苦労するのに……兄弟で半世紀ってすごすぎる。
おそらく、音楽という共通言語が2人をつなぎ続けたんでしょう。
では続いて、ビリーバンバンの音楽活動と名曲の魅力についてもう少し掘り下げてみます。
ビリーバンバンの音楽活動と名曲の軌跡|ファンに愛された理由とは?
「また君に恋してる」に込められた想い
先ほども少し触れましたが、「また君に恋してる」は年齢を重ねた大人だからこそ響く一曲。
特にビリーバンバンのバージョンは、柔らかく包み込むような優しさがありました。
この曲のヒットには、もちろんタイアップ効果もあったと思いますが、何よりも歌声が心に刺さったんですよね。
個人的にあの曲を初めて聴いたのは、徹夜明けの早朝。
朦朧としながらコーヒーを飲んでる時に流れてきて、「あ、なんか人生っていいな」と思った記憶があります。
疲れてるときに沁みる音楽って、人生の質を変えてくれるんですよ。
いいちこCMと楽曲の相乗効果
「いいちこ」のCMで起用されたことで、若い世代にも再注目された「また君に恋してる」。
あの映像と楽曲の組み合わせは、マーケティング的にも完璧でした。
CMソングが売れるのは今では当たり前かもしれませんが、このケースは完全に“逆転ヒット”。
1960〜70年代に活躍していたアーティストが2000年代に再ブレイクするのは、異例中の異例です。
こうした復活劇を支えたのも、やっぱり“本物の音楽力”と“兄弟の絆”だったんだと思います。
では最後に、40代エンジニアの視点から、菅原孝さんの生き様に学べることを少し語って終わりにします。
音楽と共に歩んだ人生に学ぶこと|40代エンジニアの視点から語る“情熱”の意味
不自由な体でも音楽を諦めなかった姿勢に共感
菅原孝さんが脳出血で倒れたのは70歳の頃。
普通なら「もう引退かな…」という空気が漂ってもおかしくない年齢です。
でも、そこから1年足らずでステージに戻ってきた姿は、本当に胸を打たれました。
やりたいことがある人間って、こんなにも強くなれるんだなと。
自分もシステム開発という“ものづくり”に関わる人間として、こういう姿勢は見習いたいと思います。
「できること」にフォーカスして、「やる理由」を持ち続ける。
それだけで人の人生って輝き方が変わるんですよね。
ビジネスパーソンにこそ響く“ブレない生き方”
最近よく聞く「ブレない軸を持て」という言葉、正直ちょっと安っぽく感じていました。
でも、菅原孝さんの生き方を見ると、その本当の意味が少しわかってきた気がします。
音楽という自分の軸を信じて、身体が動かなくなっても前に進む。
これって、仕事でも人間関係でも通用する考え方ですよね。
忙しい日々の中で、何に自分のエネルギーを使うのか。
その選び方を、菅原孝さんは“背中で見せて”くれたように思います。