町山智浩のプロフィールと経歴まとめ

町山智浩さんといえば、映画評論のカリスマ的存在として知られていますが、実は編集者からキャリアをスタートさせた異色の経歴を持っています。
ここでは、町山智浩さんの華麗でちょっとクセのある経歴を、笑いと驚きのエピソードも交えて紹介していきますね。
映画秘宝やラジオでの活躍だけでなく、意外と知られていない「編集者時代」の裏話もお届けします!
編集者から映画評論家へ|キャリアの始まり
町山智浩さんのキャリアの原点は、宝島社という出版社での編集者時代にあります。
早稲田大学を卒業後、入社早々から型破りな企画を連発し、『おたくの本』や『裸の自衛隊』など、当時としてはかなり攻めたムックを世に送り出しました。
これは40代システムエンジニアの筆者としても「おお、攻めるなあ!」と舌を巻いた部分です。というのも、IT業界でも新しいことを提案すると「とりあえず前例を調べよう」なんて言われがちなんですが、町山智浩さんは“前例を破壊”するタイプ。
「この人、確実に空気読まないタイプだな」と思いつつ、結果的にそれが時代の流れにぴったりハマったわけですね。
その後、洋泉社に移籍し、あの伝説的な雑誌『映画秘宝』を創刊。マニア心をくすぐるディープな映画批評と、ユーモラスな語り口が多くのファンを魅了しました。
町山智浩さんのスタンスは、単なる評論家ではなく「現場に降りて語る語り部」。この点が、IT系でも“手を動かすエンジニア”が重宝されるのとどこか似ていて、親近感を覚えるところです。
町山智浩の学歴は?高校・大学まとめ
町山智浩さんがどんな学生時代を過ごしてきたのか、気になりませんか?
実は、しっかりとした学歴をお持ちで、早稲田大学という名門校を卒業しています。
ここでは、高校から大学まで、町山智浩さんがどのような道を歩んできたのかを、エピソードも交えて紹介します!
出身高校は早稲田大学高等学院
町山智浩さんの出身高校は、早稲田大学高等学院です。
東京都内でも有数の進学校で、早稲田大学への“エスカレーター式”の進学が可能なことで有名です。
筆者も高校選びのときに、いわゆる“附属の強さ”に憧れた一人ですが、町山智浩さんはそこを見事にクリアして進学。
この頃から、すでに情報収集力やアウトプット力が際立っていたのでは?と感じますね。
また、本人の話によると、当時から映画や本に対しての熱量は相当なもので、学校では「語りすぎて浮くタイプ」だったかもしれません。
そのあたり、オタク気質な筆者としても「わかる、わかるぞ…」と親近感が湧いてしまいます。
この後、町山智浩さんはそのまま早稲田大学へ進学します。次で詳しく紹介しますね!
早稲田大学法学部で学んだ内容とは?
町山智浩さんが進学したのは、早稲田大学の法学部。
法学部と聞くと堅苦しいイメージがありますが、町山智浩さんにとっては「社会や構造を深く知るためのフィールド」だったのではないでしょうか。
筆者のような技術系出身者から見ると、法学っていまいち遠い世界に感じていましたが、評論家やジャーナリストには不可欠な視点。
法律って、物事の裏側を見るための“レントゲン”みたいなもので、それを学んでいた町山智浩さんが、後に社会や映画を独自の視点で切っていくのも納得です。
在学中から執筆活動にも関わっていたようで、「もう就職前からプロだった」説もありますね。
町山智浩の結婚事情と家族構成
評論家としての顔はよく知られている町山智浩さんですが、プライベートとなるとあまり表に出てきません。
でも、じつは結婚していて、渡米の理由にも奥さまが関係しているんです。
ここでは、町山智浩さんの奥さまや家族構成について、わかっている範囲でお伝えしていきます!
結婚した妻はどんな人?
町山智浩さんがアメリカへ移住したのは1997年ですが、その背景には「妻がアメリカの大学院で学びたい」と言ったことがきっかけだったそうです。
この話、筆者にはグッときました。
というのも、自分も奥さんの希望で転職や引っ越しを決めたことがあるからです。人生の決断って、自分の意思と同じくらい、パートナーの想いも大事なんですよね。
町山智浩さんがその言葉をきっかけに渡米したという話を聞くと、「評論家=個人主義」というイメージが良い意味で裏切られます。
奥さまについては一般人のため、名前や職業など詳細は公開されていませんが、芯のある賢い方なんだろうなと感じます。
結婚生活は20年以上にわたって続いており、安定した家族関係を築いているようです。
次に気になるのは、子どもがいるかどうかですね!
子どもはいる?家族とのエピソード
町山智浩さんには娘さんがいるという情報があります。
ただし、メディアではあまり語られていないため、プライバシーを大切にしている様子がうかがえます。
これは筆者としても共感ポイントで、エンジニア仲間の中にはSNSで家族を一切載せない派も多いんですよね。
ただ、ラジオなどの発言から察するに、娘さんとの関係はとても良好で、アメリカでの生活を家族で満喫しているようです。
カリフォルニアの生活って、乾燥してるけど心はカラッとするんですよ。筆者も出張で数週間滞在したことがありますが、「こりゃ帰りたくなくなるな」と思った記憶があります。
町山智浩はなぜアメリカ在住?渡米の理由とは
現在、町山智浩さんはカリフォルニア州バークレーに在住しています。
なぜアメリカに?と疑問に思う人も多いですが、そこには映画評論家としての戦略と、私生活の大きな転機がありました。
この章では、渡米の理由とアメリカでの暮らしについて掘り下げていきます!
カリフォルニア州バークレーでの暮らし
町山智浩さんが住んでいるバークレーは、カリフォルニア州でも知識人が集まる街として知られています。
バークレー大学があることでも有名で、街全体にアカデミックな空気が漂っています。
筆者も出張でベイエリアに行ったとき、「空気がうまい…というか知性を吸ってる気がする…」と感じたものです(気のせいだけど)。
この地で町山智浩さんは、映画評論をよりリアルに、より現地目線で発信するための活動を行っています。
ハリウッドに近いという地の利もあり、日本では得られない一次情報に触れながら、SNSやメディアを通じて情報発信を続けています。
それにしても、ネットさえあれば評論家もリモートで世界とつながれる時代なんですね。ちょっとエンジニアっぽい話ですが、VPNとクラウドで仕事してる感覚に近いのかも?
妻の留学希望が渡米のきっかけだった?
町山智浩さんがアメリカに渡った最大の理由は「妻が大学院で学びたいと言ったから」。
このエピソード、人生の転機は案外パートナーの一言だったりするよなあと、しみじみ思わされます。
筆者の知り合いにも、「奥さんがシアトルで働きたいって言い出して、子連れで家族移住した」なんてケースもありますし、実際そういう行動力って強いです。
そして町山智浩さんも、「じゃあ行こう!」と即決してアメリカへ。決断力というより、信頼関係があってこその行動ですね。
そこから20年以上、アメリカを拠点に情報発信を続けている町山智浩さんは、“評論家2.0”とも言える存在だと思います。
次はそんな町山智浩さんが創刊した伝説の雑誌『映画秘宝』の裏話について、じっくり見ていきましょう!
町山智浩と映画秘宝|裏話と雑誌創刊秘話
映画秘宝といえば、映画好きの間では伝説ともいえるカルチャー誌です。
この雑誌を立ち上げたのが町山智浩さん。編集者として、そしてマニアとしての情熱をすべて注ぎ込んだとも言えるプロジェクトでした。
この章では、『映画秘宝』の創刊エピソードや裏話について、町山智浩さんの視点と合わせて紹介していきます!
なぜ「映画秘宝」は生まれたのか
町山智浩さんが洋泉社に在籍していた1990年代、一般的な映画雑誌は“キラキラ路線”や“大作PR寄り”が主流でした。
そこに一石を投じたのが、ぶっちゃけ「コアすぎる」「変態的」とすら言われた『映画秘宝』です。
町山智浩さんの「これが観たい、語りたい、世に出したい!」という欲望が編集方針になっており、読者もそれに呼応して集まりました。
筆者も技術系の同人誌を作った経験があるのでわかるんですが、こういう“共鳴型メディア”って、出す側の熱量が異常なんですよね。
「面白がらせたい」「誰かと語りたい」その純粋な衝動が、商業出版という壁をぶち破った瞬間だったんじゃないでしょうか。
伝説のカルチャー誌を作った裏側とは?
『映画秘宝』は単なる映画情報誌ではなく、“町山智浩ワールド”が広がる文化の交差点でした。
原稿では映画を肴にした社会批評が展開され、読者が「知ってる映画も知らない映画も、なんだか観たくなる」不思議な中毒性がありました。
筆者のように技術畑の人間でも、この雑誌には心を掴まれた記憶があります。
「映画もガジェットも結局“変態性”が原動力だよね」と勝手に共感していた時期もありました(笑)。
残念ながら一時期は廃刊状態になりましたが、町山智浩さんが与えた影響力はいまだ色濃く、サブカルチャーの中にしっかりと根を張っています。
まさに、評論の枠を超えた“文化を作った人”と言えるでしょう。
