今久留主成幸さんが急逝…年齢と死因は?
PL学園の黄金期を支えた名キャッチャー・今久留主成幸さんが、2026年1月29日に亡くなっていたことが明らかになりました。
突然の訃報に、SNSやネットニュースでも多くの追悼の声が寄せられています。
ここではまず、亡くなられた年齢や死因について、報道内容をもとに整理してお伝えします。
亡くなった年齢と死去が報じられた日付
今久留主成幸さんが亡くなったのは、2026年1月29日です。
亡くなられた場所は神奈川県川崎市内の病院と報じられています。
年齢は58歳でした。
訃報が公表されたのは2026年2月4日で、かつて所属していた西武ライオンズが発表しました。
葬儀は近親者のみで執り行われたとのことです。
そのため公表までに少し時間が空いたようですね。
高校時代はPL学園で、桑田真澄さん・清原和博さんと同学年。
1989年にドラフト4位で大洋(現DeNA)に入団し、1995年には西武にトレード移籍しました。
プロ通算での一軍出場は23試合。
地味ながらも確かな守備でチームを支えた捕手として知られていました。
現役引退後は独立リーグ・BCリーグ長野でGMなどを務め、野球界の裏方としても貢献してきました。
死因と報道内容の詳細
今久留主成幸さんの死因については、公式発表では病院で亡くなられたとだけ伝えられています。
亡くなられたのは2026年1月29日。
神奈川県川崎市内の病院で息を引き取られたとのことです。
詳細な病名や容体などについては、報道では明かされていません。
また、葬儀は近親者のみで執り行われ、静かにお別れが済まされたようです。
そのため、西武ライオンズから正式な発表があったのは2月4日と、少し時間が経ってからでした。
SNSでは「急すぎる」「また一人PLの名選手が…」といった声が多く投稿され、ファンやOBの間でも悲しみが広がりました。
亡くなられた背景には不明な点も多いものの、確かなのは今久留主成幸さんが野球界に静かに、そして誠実に貢献してきたという事実です。
次は、今久留主さんが歩んだ野球人生を振り返ります。
今久留主成幸さんの経歴まとめ!高校・大学・プロ野球での活躍とは
PL学園から明治大学、そしてプロ野球へ。
今久留主さんの歩みは、まさに“野球に生きた人生”そのものでした。
PL学園時代のポジションと成績
高校は名門・PL学園に進学。
同学年にはあの“KKコンビ”こと桑田真澄さんと清原和博さんがいて、今久留主さんは正捕手としてチームを支えていました。
全国制覇を成し遂げた黄金世代の一員として、ミットの綿を抜いてまで桑田さんの速球に対応したという伝説も残っています。
当時のPL学園の強さを支えた“縁の下の力持ち”として、確かな存在感を放っていました。
明治大学野球部での実績と伝説
PL学園卒業後は、東京六大学の強豪・明治大学に進学。
厳しい練習と規律で知られる島岡吉郎監督のもとで、精神面・技術面ともに大きく成長しました。
“明治魂”を体現するような泥臭いプレーと、常に声を出し続ける姿勢が評価され、チームにとって欠かせない存在に。
この経験が、その後のプロ入りにもつながりました。
横浜ベイスターズ・西武ライオンズ時代とその後
1989年、ドラフト4位で横浜大洋ホエールズ(現DeNA)に入団。
1990年に一軍デビューし、1995年には西武ライオンズへトレード移籍。
1999年シーズンを最後に現役を引退しました。
プロでの一軍出場は23試合、通算成績は14打数3安打で打率.214。
決して派手な成績ではありませんが、守備面やリードでチームに貢献していたと言われています。
引退後は独立リーグのBCリーグ・信濃グランセローズでGMを務めたり、社会人野球の現場にも関わっていました。
野球への情熱を最後まで失わず、裏方として静かに野球界を支え続けた人生でした。
次は、今久留主成幸さんと桑田・清原両氏との絆にフォーカスします。
桑田真澄とのバッテリー秘話…清原和博との関係も
PL学園の黄金期は、“KKコンビ”だけで成り立っていたわけではありません。
そのすぐ近くに、今久留主成幸さんがいました。
桑田真澄とのキャッチャーとしての名コンビ時代
桑田真澄さんが剛速球を投げるエースなら、今久留主さんはその球をしっかり受け止める“影の功労者”。
エピソードの中でも有名なのが、「ミットの綿を抜いていた」という話。
それだけ全力で桑田さんの球に食らいついていたということですね。
信頼関係の深さが伺える、まさに名バッテリーでした。
清原和博との友情やエピソード
清原和博さんとは、PL学園時代に同学年で苦楽をともにした仲。
試合中はもちろん、寮生活や遠征中なども行動を共にすることが多かったそうです。
清原さんからも「気のいい奴」「いじられ役だけど頼れる」と評されていたとか。
PLの絆は、卒業後も強く、同じ時代を生きた仲間として深い繋がりがあったようです。
PL学園の黄金世代としての立ち位置
1980年代半ば、PL学園は“敵なし”と言われるほどの圧倒的な強さを誇っていました。
その中で、桑田さん・清原さんというスターの影に隠れつつも、チームの屋台骨を支えていたのが今久留主さん。
結果を出す人がいれば、それを支える人がいる。
その好例として、今久留主成幸さんの存在は今なお語り継がれています。
