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足立康史の経歴と学歴がすごい!コロンビア大も卒業した経産省キャリアの実力派だった!

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足立康史さんの経歴と学歴って、意外と知られていないけど実はすごいんです。

京都大学を卒業後、アメリカの名門・コロンビア大学大学院でも学び、経済産業省では21年間も官僚として活躍。衆議院議員としても4期連続で当選し、政調会長や憲法調査会長などの要職も経験した実力派なんですよ。

この記事では、そんな足立康史さんのプロフィールをはじめ、
・出身高校や大学などの学歴
・経産省での役職や功績
・政治家としての実績と転機
・SNSやYouTubeでの情報発信
などを時系列でわかりやすくまとめました。

ぜひ最後まで読んでみてくださいね!

目次

足立康史の経歴と学歴がすごい!

足立康史さんは、大阪府立茨木高校から京都大学へ進学し、その後、米国の名門コロンビア大学大学院でも学んだ実力派です。

高校時代は水球の全国大会に出場し、大学ではチーム主将として活躍。学歴だけでなく文武両道の姿勢が注目されてきました。

ではまず、足立康史さんの学生時代にフォーカスしてご紹介していきますね。

茨木高校から京都大学へ!水球で全国大会出場も

足立康史さんは大阪府の名門・茨木高校に進学し、そこで水球に情熱を注いでいたそうです。

実は、国体やインターハイにも出場していたという実績があり、文武両道の高校生活を送っていたことがわかります。高校の同級生には俳優の吉川晃司さんもおり、全国大会で対戦したエピソードもあるようです。

私自身も、勉強とスポーツを両立させることの大変さをよく知っています。とくに全国レベルの部活動をしながら進学校の勉強をこなすのは、かなりの自己管理能力が必要です。その経験が、後のキャリア形成にも影響を与えたのではないかと感じますね。

そして足立康史さんは、京都大学工学部に進学します。水球部では主将を務め、関西リーグで8連覇を達成するなど、大学でもリーダーシップを発揮していたそうです。スポーツで鍛えられた根性と集中力が、後の官僚としての活躍にもつながったのではないでしょうか。

次は、京都大学卒業後に進学した大学院と、アメリカ留学について詳しく見ていきます。

京都大学大学院を修了後、米国コロンビア大学へ留学

京都大学の学部を卒業した足立康史さんは、そのまま同大学大学院工学研究科に進学しました。

ここでは工学修士号を取得し、技術と政策の融合をテーマに学んでいたようです。実際、この頃から日本の産業やエネルギー政策に強い関心を抱いていたとのことです。

そして1998年には、アメリカの名門・コロンビア大学国際公共政策大学院に進学。公共経営の専門職修士号を取得しました。これ、実は相当すごいことです。私は外資系IT企業の技術研修で米国に出張した経験がありますが、アメリカの大学院は本当に実践的で、議論重視のカリキュラムなんです。

言語の壁や文化の違いがある中で、修士課程を修了するというのは、努力だけでは越えられないハードルを乗り越えた証明だと思います。

この国際経験が、のちの経産省での国際交渉やJETRO駐在などにも直結していると感じますね。

次は、そんな足立康史さんが歩んだ経産省での華やかなキャリアについて紹介していきます。

コロンビア大も卒業した経産省キャリアの実力派!

京都大学とコロンビア大学という2つの名門を修了した足立康史さん。

その後は、通商産業省(現在の経済産業省)に入省し、なんと21年間も官僚として活躍されていました。特に注目すべきは、その中でも高度なポストを次々と任されていたという点です。

ここでは経産省時代の経歴と役職について、わかりやすく整理していきますね。

通産省から経産省へ、21年のキャリア官僚人生

足立康史さんが通商産業省に入省したのは1990年のこと。まだ平成の初期です。

その後、通産省が経済産業省に再編される中でも、さまざまな政策部門を歴任してきました。特に印象的なのは、1995年に新エネルギー対策を担当したこと。エネルギー危機や再生可能エネルギーの転換点だった時代です。

2000年以降は中小企業庁や商務情報政策局などで、法令整備やIT分野の政策にも携わり、まさに時代を先取りする動きをしていた印象を受けます。

私自身、社会人として長年働いてきて思うのは、「政策の目線が現場に届いていない」と感じる場面が多いこと。ですが、足立康史さんのように、現場と政策をつなごうとする官僚の存在はとても貴重だったと思いますね。

次は、経産省時代の役職や部署を、時系列でまとめてご紹介します。

経産省での歴代役職まとめ【要点でわかる年表付き】

足立康史さんの役職・経歴を簡潔にまとめると以下のようになります。

  • 1995年:資源エネルギー庁 新エネルギー担当課長補佐
  • 2000年:中小企業庁 総務課課長補佐(法令担当)
  • 2004年:商務情報政策局 政策調整官補佐
  • 2006年:製造産業局 政策企画官
  • 2007年:商務情報政策局 担当参事官
  • 2009年:JETRO(日本貿易振興機構)ブリュッセルセンター所長

21年間のキャリアの中で、国内外の政策現場で実績を積んできたことがよくわかります。特に欧州駐在の経験があるのは、国際感覚を持つ政治家としても大きな強みですね。

それでは次に、足立康史さんが官僚から政治家へ転身したきっかけと、政界での歩みを見ていきましょう。

衆議院議員としての実績と転機

2011年、足立康史さんは経済産業省を退官し、政治の世界へと足を踏み入れました。

そのきっかけは、東日本大震災と福島第一原発事故だったそうです。日本の政策決定の在り方に危機感を抱き、自らが改革の先頭に立ちたいと志したとのこと。

このあたり、私もサラリーマンとして働く中で「仕組みがおかしいのに誰も変えようとしない」場面を何度も見てきたので、足立康史さんの行動力には共感しかありません。

維新の会から国民民主党へ、足立康史の政界ヒストリー

足立康史さんは、みんなの党からスタートし、その後、日本維新の会の結党に参加。

2012年に衆議院初当選を果たし、合計4回も当選するという実績を持ちます。維新の党では政調会長や憲法改正調査会長など重要ポストを歴任。

ですが、2024年には党内での方針対立などから引退を表明。翌2025年には国民民主党から参議院比例代表として再始動しました。

この流れは、まさに「自分の信念を貫くための転身」とも言えると思います。職を失っても正しいと思うことを主張する姿勢は、非常に人間味がありますよね。

続いて、そんな足立康史さんの基本情報を一覧でご紹介します!

党内での役職・代表選出馬・引退の真相

足立康史さんは維新時代に、政調会長やコロナ対策本部事務局長など、政策中枢で活躍してきました。

2022年には代表選にも立候補。結果は落選でしたが、「組織に対して冷や飯を覚悟で挑んだ姿勢」が当時話題となりました。

2024年には党内の選挙違反を指摘し、あえて引退を表明。政治家として「身を切る改革」を実行した格好となりました。

個人的には、エンジニアという立場から見て「不正やバグを見逃さない」姿勢が共通しているように感じます。足立康史さんのように、見て見ぬふりをしないスタンスは応援したくなりますね。

それでは最後に、足立康史さんのプロフィールを見ていきましょう。

足立康史のプロフィールまとめ【基本情報一覧】

政治家としての顔だけでなく、足立康史さんのパーソナルな一面もご紹介します。

出身地や好きな言葉、SNSアカウントなどを一覧でまとめました!

名前・年齢・出身地・学歴・趣味など一覧で紹介

・名前:足立康史(あだち やすし)
・生年月日:1965年10月14日(2025年現在59歳)
・出身地:大阪府泉大津市
・出身高校:大阪府立茨木高等学校
・大学:京都大学 工学部
・大学院:京都大学大学院/米国コロンビア大学大学院
・職歴:経済産業省(21年)/衆議院議員(4期)
・家族構成:妻・長男
・尊敬する人物:高碕達之助
・座右の銘:遊危所(リスクを楽しむ)
・趣味:短歌・水球・ペン回し
・好きな食べ物:卵かけご飯

SNSアカウントやYouTube「あだチャン」もチェック!

足立康史さんはSNSでの発信も積極的に行っています。

・X(旧Twitter)公式:@adachiyasushi
・YouTube:「あだチャン」チャンネル登録者数 約7.6万人
・noteブログやLINEアカウントも運用中

ネット上でも政策や日々の活動を発信されているので、気になる方はぜひチェックしてみてくださいね!

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