
天野裕正さん(鹿島建設社長)が死去
鹿島建設の社長・天野裕正さんが、2026年1月23日に亡くなりました。
会社から正式に発表されたのは1月27日で、74歳でした。
あまりにも突然のことで、建設業界だけじゃなく、経済界でも驚きの声が広がっています。

死去の日時と発表内容
発表によると、天野裕正さんが亡くなったのは1月23日(金)。
鹿島建設が「お知らせ」として公表したのは、それから4日後の1月27日です。
少し間が空いていたので、「なぜすぐに発表されなかったの?」と気になった方もいたかもしれません。
こういう発表のタイミングって、なかなかデリケートですよね。
私もエンジニアとしてシステム運用に携わってきたんですが、トップ交代のような“重大なお知らせ”って、タイミングを間違えると現場がざわつきます。
社内の混乱や取引先への配慮も含めて、慎重に判断した結果だったんでしょう。
死因は心不全と公表
鹿島建設の発表によれば、天野裕正さんの死因は「心不全」でした。
詳細については明らかにされておらず、病気の経過や療養していたかどうかも不明です。
とはいえ、ここ数年の報道を見る限り、天野裕正さんは社長としての職務をしっかり果たしていた印象です。
私もニュースや業界誌で名前を見かけるたび、「この人、なかなか攻めてるな」と思っていました。
特にAI活用など、建設業界としては革新的なことを推進していて、すごいなぁと感じていたんです。
心不全って言葉はよく聞くけれど、具体的にどんな状態か知らない人も多いかもしれません。
簡単に言うと、心臓のポンプ機能がうまく働かなくなり、全身に血液を送り出せなくなる状態のこと。
高齢の方に多く、慢性的な疲労やストレスが影響することもあります。
経営の最前線に立っていた天野裕正さん。
もしかしたら、想像以上に身体に負担がかかっていたのかもしれません。
天野裕正さんの年齢や学歴・経歴
天野裕正さんがどんな人だったのか、そのキャリアを振り返ると、エリート中のエリートという言葉がぴったり当てはまります。
ただ、ガツガツしたタイプというより、実直で堅実な“職人肌”の印象も強い方でした。
74歳で死去|開成高校〜早稲田大学
天野裕正さんは1951年9月26日生まれ、神奈川県の出身です。
名門・開成高校を卒業後、早稲田大学理工学部建築学科に進学。
そのまま大学院に進み、1977年に修了しています。
40代の私から見ても、開成→早稲田→鹿島建設って、完全に「勝ち組コース」って感じです。
しかもそのまま入社した鹿島建設で、一筋にキャリアを積んでいったのは本当にすごい。
今どきのキャリアみたいに“転職でステップアップ”じゃなくて、「ひとつの会社でやりきる」って、かえってかっこよさを感じますね。
鹿島建設でのキャリアと昇進歴
1977年に鹿島建設へ入社した天野裕正さんは、最初は横浜支店に配属され、ずっと建築畑を歩いてきました。
特に「アクトシティ浜松」など、大型案件をいくつも手がけたことで社内でも信頼を集めていたそうです。
出世のスピードも順調で、2009年に執行役員、2013年に常務執行役員、2014年には専務執行役員、2017年には副社長に。
そして2021年6月、ついに代表取締役社長に就任しました。
こうやって振り返ると、40年以上かけて社長に上り詰めたわけです。
これ、簡単なことじゃありません。
特に鹿島のような大手企業では、役員クラスになるのも狭き門。
個人的には、技術者からスタートして社長まで上り詰めた姿に、システムエンジニアとしても励まされます。
専門職でも、ちゃんと見てくれる人がいるんだなって。
鹿島建設での功績と取り組み
天野裕正さんが社長に就任したのは2021年6月。
そのタイミングはちょうど、建設業界が「人手不足」「DX」「環境対策」といった課題に直面していた時期でもあります。
この3年間で、しっかりと“天野カラー”を打ち出していたのが印象的でした。
AIなどのデジタル技術導入で生産性向上
天野裕正さんといえば、やっぱりAIやICTを活用した現場改革が有名です。
建設業って、どうしても「重機と職人の世界」というイメージが強いんですが、そこにテクノロジーを持ち込んで効率化を図ろうとしたんです。
私もシステムエンジニアとしてAI導入の案件に関わることがありますが、正直いって“現場”の壁って本当に分厚いです。
古い慣習やベテランの職人さんとの調整、ITに不慣れな人との距離感…。
その中で、天野裕正さんが“工事現場の未来”を見据えて動いたことは、かなり勇気のいる決断だったはず。
見えないところで相当な苦労もあったと思いますが、そのぶん業界内では「先を行ってるな」という声も増えていました。
中核事業強化と建設バリューチェーンの拡充
天野裕正さんは、鹿島建設の「中核事業の強化」と「バリューチェーンの拡充」にも力を入れていました。
簡単に言うと、“得意分野をもっと磨いて、仕事の流れ全体をうまくつなげていこう”という方針です。
建設って、設計・施工だけじゃなくて、その前後の調査や保守管理まで含めて一つの流れなんですよね。
そこにしっかり投資して、会社全体の成長につなげようとしていたのが、天野裕正さんの戦略。
個人的には、エンジニア視点でも「点で終わらせず、線でつなげる」という発想に共感しました。
まさに“つくって終わりじゃない”時代の経営だったなと感じます。
「人・技術・信頼」を重視した経営姿勢
社長就任後、天野裕正さんが掲げていたキーワードのひとつが「人・技術・信頼」でした。
技術力だけではなく、人と人とのつながり、そして信頼関係を大切にする姿勢が社内外で評価されていました。
これは私の勝手な印象ですが、天野裕正さんは“人を見て仕事する人”だった気がします。
最新技術を使いこなす一方で、現場の声にもちゃんと耳を傾ける。
そういうバランス感覚が、今の時代にぴったり合ってたんじゃないでしょうか。
リモートワークが増えて「人と人が会うこと」が減っている今だからこそ、天野裕正さんの言葉は重みがあるように思います。
天野裕正さんの人柄やエピソード
これまで社長としての顔を中心に見てきましたが、ここでは天野裕正さんの“素顔”に少しだけ迫ってみたいと思います。
堅い話だけじゃなくて、ちょっとした人間味が見えると親しみがわきますよね。
好きな作家やプライベートの一面
実は天野裕正さん、好きな作家として藤沢周平さんや司馬遼太郎さんを挙げていたそうです。
渋い…!
いやほんと、趣味が大人。
建設現場の指揮をとるかたわら、歴史小説に親しむ姿を想像すると、なんだかギャップがあって素敵ですよね。
40代エンジニアの立場からすると、こういう“本好きの上司”って仕事の話だけじゃなく、人として話が合うんですよね。
知識が深い人って、無理に語らなくてもオーラが出てる。
ビジネスの場でも、こうした“文化的な素養”が信頼を集める理由のひとつだったのかもしれません。
